ちょっといい話

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★ちょっといい話 その4

40代男性 開業医
 下痢が続き、難治性の腸の病気と診断されて不眠になっていた。やがて仕事が億劫になり、全てを否定的に考えるようになった。借金が気になり、頭痛やイライラも出てきて、自院の患者やスタッフにも些細なことで苛立ちをぶつけることが多くなっていた。悲観的になり、死んだ方がましだと考えて、当院を受診した。
 抗うつ薬と抗不安薬によって睡眠、気分は改善したが、仕事を再開すると再び、不眠、気分低下、意欲減退、活動性低下、悲観的になった。恐怖や不安、よくなるのだろうかという不安、死にたい気持ちがでてきて抗うつ薬を増量したところ徐々に気分は改善してきたが、患者やスタッフに対してイライラしたり、攻撃的な面が見られた。抗うつ薬を調整して次第に気持ちが安定してきた。その頃には腸の症状はほとんど消失していた。

○月○日
 自分はもともと数多く患者を診る方だった。周囲から見るとテキパキしていると言われたが、私から見ると周りが遅すぎるんです。それを見るとイライラする。歩いている人を見ると、「走れ!」と言いたくなって。うちに研修にきた学生の感想を読むと、仕事中に私語がない、雰囲気がピリピリしていると書かれてあった。患者さんも私が決めた時間通りに1分も遅れずにピシッと来ます。でも自分が患者になってみて、時間通りに来るのは大変だと実感しました。父からは目に輝きがでてきたと言われます。家内からも落ちついて本を読むようになって安心したと言われる。でもまだ自信はない。

1年後
 以前はしんどくなるともう仕事をやめようかと思うことがあった。今は、しんどくてもやり続けた方がいいかと思います。目一杯やっても無理がたたる。ここまでできるようになったことを感謝して、その先に道はできてくると考えるようになりました。四点が大事かなと思っておりまして、家族の和、スタッフとの和。スタッフもストレスがたまってくる。無理を言ってすまん、申し訳ないと。それから家族みんなが健康であること、自分の健康、早寝して無理しない。その四点に気をつけていこうと思います。こうなったのも自分の責任で、自分で治さないといけないと思っています。ここまでできるようになったらいいだろうと周りからは言われるが、まだちょっと無理をしてしまうところはあります。

さらに数ヶ月後
 腹が全然立たなくなりました。ガミガミ言わなくなった。周りを大切にして接すれば自然とよくなる。
 競争心がなくなりました。近所で継承されたところがすごく大きく建て増しをして、建築費がすごいだろうなと思って。以前ならすぐ見に行って自分も負けないようにと考えたけれど、今は逆に中庸くらいでいいかなと思うようになりました。

★ちょっといい話 その3

平成24年7月○日 40代男性
 普段、外出したり、人と出会ったり、話をすることがとても苦手でひどく緊張します。ときどき、激しい動悸や息苦しさ、手足のしびれや震えが出て、強い不安に襲われることがあります。昼に外出するのはとても怖いことです。
 ある日の晩、どうしても支払わないといけないことがあって、24時間営業しているスーパーに自転車で出かけました。お店に着いて、携帯を見ようと思ったら携帯がないんです。家を出るときには、いつも何を持ったか、順番通りにチェックしているのに。どこかに落としたかと、懐中電灯をともして通ってきた道を逆方向に捜すことにしました。踏切のところがガタガタ道で、もしかしたらあそこかもしれないと思って、そのあたりをドキドキしながら、緊張と不安で探しました。30分くらい必死になって探して、周りがわからなくなっていたら、肩をとんとんと叩かれて。見てみると3~4歳の女の子が、「落としたん? 探してあげようか」と言うんです。後にはお兄ちゃんとお父さん、お母さんがいて、お父さんから「どうされましたか」と尋ねられました。「多分この辺で携帯を落として、捜しているんです」と答えました。お母さんが「電話を鳴らしてあげる」と言って、みんなで懐中電灯を照らして探してくれました。でもなかなか見つからなかった。するとお母さんが、「一番に捜した子にはアイスをあげる」と言うと、みんないっそう真剣に探し始めました。そしてとうとうあの3歳の子が探し当てたんです。携帯の音がお父さんには聞こえなかったけれど、女の子は「音がする」と言って見つけてくれたのです。うれしくて、お礼をしたくて、「これだけはもらってもらいます」と言って、さっきの店で買ったスポーツドリンクとお菓子をあげました。小っちゃい子が2リットルのペットボトルを抱えて喜んでくれた。みんな必死で30分ほども探したので、喉が渇いて、順番に飲んでいました。女の子は、グビグビとまるでおもちゃが水を飲んでいるようでした。たぶん、親御さんだけだったら、私にはなかなか話もできなかったと思う。女の子が間に入ってくれたおかげで話ができたのだと思います。妹や姪っ子が小さかった時のことを思い出してなんだか、癒やされる気がしました。気がつくと夜の9時半を回っていました。女の子が暑苦しくて、家族で散歩していたのだそうです。最初は不安でいっぱいだったのですが、気分よく家に帰れました。

★ちょっといい話 その2

平成22年5月○日 40代男性
 自営で掃除道具の販売をしています。老人ホームや病院で清掃の仕方、環境整備についての指導もしています。
 僕は子供の頃、ひどい吃りで、人前で喋るのが苦手でした。発表会で自分の台詞が言えなかった。それが自分の中でずっとプレッシャーになっていました。何とか自分で克服しようと人の中に入るように努力しました。30歳から独立して現在の仕事をするようになって、一般向けにセミナーや講演を引き受けるようにしました。アメリカの衛生的で合理的な清掃の仕方などの話をすると、喜ばれて、できるだけ多く話をするようになりました。ところが、1ヶ月前にある高校から生徒全員の前で話をしてほしいと頼まれて、どうしたものかと悩んでいます。今までは一般の人、数名から多くても数十名を対象に話をしてきましたが、高校生を相手に、それも500名という大勢の前で話をしたことはありません。大人と違ってイメージが湧かないのです。話を持ってきたのが柔道をしている体格の大きな先生で是非やってもらわないと困るという調子で、どうしたらよいのか。以来、気になって夜も眠れなくなってしまいました。500人に対して清掃の話などできないと思うのです。高校生だから聞く気のない生徒もいるだろうし。先日、老健で話をしたら、いつもなら普通に話ができるのに、講演のことが頭にあってうまく喋れなかった。気が小さくて情けないのだけれど、その割に出たがりの所もあって。あがりにくくなるような薬でもないかと思って来てみました。

6月○日
 最初は先生からそんなに不安なら逃げたら、と言ってもらえるのを期待していました。逃げたいという気持ちの方が強かったから。チャレンジしてみましょうと言われて、薬であと押ししてもらいながら前向きに挑戦しようという腹が決まりました。昔からのあがり症が出てくると思うけど乗り越えるしかない。ステップアップ・スキルアップしたい。でも笑いが取れるかな。

6月□日
 プレッシャーはかなりあったけど、講演の前に薬を飲んで、滞りなく話ができました。生徒さんたち500人を前にして、薬のおかげか、ゆとりがあって、話し始めたら普通に話ができて。先生からはあまり受けを狙うなと言われていたけど、それなりに受けました。最後に皆さんから拍手をもらって、校長や教頭からもとてもよかった、初めてとは思えない、他の学校にも推薦させてもらいたいとまで言っていただきました。講演料を戴きましたが、養護学校に寄付させていただきました。この2ヶ月間、本当に苦しかった。でもいい経験ができました。この話を断っていたら、やはり後悔していたと思います。

★ちょっといい話 その1

平成21年7月○日 40代女性
 認知症の父親が入院して鼠径ヘルニアの手術を受けました。手術後、点滴の管を抜くわ、歩き回るわで大変でした。担当の医師・看護師から説明されて、拘束されたのですが、「こんなことをしてよいのか」と怒っていました。その後、少し落ち着いてきましたが、食事を摂らないし、熱が続くので、内科病棟に変わりました。その途端、また点滴を引っこ抜いてなかなか落ち着きませんでした。それでもしばらくすると病棟にも慣れて夜は寝てくれるようになりました。
 父が入院して以来、ずっと付き添って食事の世話など、身の回りのことをしています。
 実は、子供のころから私は、父親が苦手でした。ちょっとしたことで急に怒り出して、ちゃぶ台をひっくり返すような父でした。父とはあまり会話もしなかったし、心のどこかで許せない気持ちが拭えなかったのです。
 父親にご飯を食べさせていたある時、「おいしいね」と聞くと、「おいしいよ」と父は言いました。何を思ったか、やおら父はテーブルの上にあった桃をフォークで刺して、私の口に入れてくれようとしたんです。思わず桃を口に含みましたが、その途端、胸がいっぱいになりました。父に「私は誰かな」と聞くと、「誰かな」と答えます。しばらくすると、「あ、わかった」と言いますが、あまりわかってはいないようです。父の体の状態はまだ安定はしていませんが、クリスチャンである母と私は、「きっと神様はいいようにしてくれるよね」と話し合いました。母も私も父の介護で体は疲れきっているけれど、気持ちはとても楽になりました。こんな日が訪れようとは、こんな風に穏やかに父のことを見られるようになるとは夢にも思いませんでした。昔の父に対するいやな気持ちがスーッと消えていく気がしました。

★ちょっといい話 その1 後日談

平成21年8月○日 
 父が亡くなりました。病院からの急変の知らせを受けて母と急いで駆けつけたが、すでに召されていました。母は、「お父さん、待っていてくれんかったん」と気にしましたが、姪は「おじちゃんは毅然とした人だから、おばちゃんに苦しいところ見せたくなかったんだよ」と慰めてくれました。牧師さんも来られて、みんなで賛美歌を歌って穏やかな時を過ごしました。もっと後悔するかと思っていましたが、お父さんは天国で待ってくれていると思うと安心です。私の娘も父が苦手でしたが、「おじいちゃんが嫌でなくなった」と、父の身なりを整えていました。父が最後に言ってくれた「ありがとう、○美」という言葉が耳元に残っています。
(その後)
父ともっと話をしておけばよかったと思うので、今は母の話をできるだけ聞くように努めています。父はそれを教えてくれたのだと思う。子供の頃、父がほめてくれたことを思い出しました。一日一日、父に近づいている感覚で母も過ごしています。毎日いろんなことがあるけど、私たちは穏やかです。

 
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